どのくらい読書を嗜めば、それを趣味と呼べるのだろうか。
月に一冊ペースで読めば?それとも作品を研究していれば?それとも…
自己満足が全てである趣味に定義をつけようだなんて。そんな行為が興ざめである。本を読むことが好きであれば誰もが「趣味は読書」だと言い張っていいはずだ。
僕の趣味は読書である。そして好きな作家の一人が、三島由紀夫である。
三島由紀夫との出会い
受験勉強に追われながらせこせこ勉強していた中三の夏休み。さらに「読書感想文の提出」が僕を圧迫していた。中二までのように、のんびり本を読みながら何を題材に書こうかなんて考える暇もない。そこで父親の本棚から手ごろな一冊を拝借することにした。そこで僕の胸をときめかせたタイトルが「命売ります」だ。
これが僕の三島由紀夫との出会い。運命的でもなければ感動的でもない。ありきたりな出会いだね。まぁ好きな作家との出会いなんてそんなもんか。
そして僕はその本を読んだ。そこそこ感銘を受けたと思う。断言できないのはすっかり忘れてしまっているから。三年前の記憶なんてそんなもんだよね。
読書感想文がようやく書き終わった日。 - The Azure
受験勉強で忙しいはずなのに、そのことを日記にしていた。うける。
こんな文章今の僕にしか需要がない。
金閣寺で味わう挫折
「三島由紀夫という作家を知った」ことをなぜか鼻にかけていた高一の春。
当時金閣寺を読んでいたのだがさっぱり意味が分からなかった。知らない語句が溢れていて読んでいて楽しくなかった。とはいえ読み切った。というよりはすべての文字に目を通した、といったぐあい。
そのことも文章にしていた。
それから
金閣寺を読んでからもちょくちょく三島由紀夫を読んでいた。仮面の告白や永すぎた春など。これらは金閣寺ほど読みにくくなかったが、面白さを感じる個所はあまりなかった気がする。我慢して読んでいたのだ。「いつかは自分も三島由紀夫に面白さを感じられる」と。
そして先日積読になっていた「春の雪」を手にとって読んだ。それがすごく面白かった。本当に。作品に対してさらに自分自身に対して感動を覚えた。
自分がどれだけ成長しても、本は変わることなくその形を保ってくれている。当たり前なのだけれども、それってすごく嬉しいよね。
もう一度金閣寺を読むことにした。浅はかだけど、自分の成長を確かめるために。
あの時の僕よりも、三島由紀夫に近づけるだろうか。