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夢は夢のままで

楽しさの方向

 昨年の10月で部活を引退し、12月にはすでに進学先も決まっていたため、遊ぶ時間が増えた。放課後に教室で友人とトランプをしたり、恋人と下校したり、休日には恋人とデートをしたりして、時間を使っている。とても楽しい。愉快である。

 その「楽しさ」はいったい何が引き起こしているのか。自分の好きな人とともに時間を過ごすことができるという幸福感が僕を楽しくさせるのだろう。

 

 それまで熱心に取り組んできたバスケットや、資格取得のための学習、勉強、読書などでも楽しさを覚えることがある。しかし、それらは遊ぶことで感じる楽しさとは異なるニュアンスを持っている。前者は、自己実現的な、自分が没頭できることに向かうことに対して感じる前進的な楽しさで、後者は現在の自分を肯定し、脳みそをすっからかんにして覚える停滞的な楽しさである。過去を振り返った時に、前者は自分の励みになり、後者は思い出になる。そんなニュアンスだ。

 

 どちらが良くてどちらが悪いというわけではない(だろう)。

 僕は後者の楽しみ方が苦手で恋人や友人によくない思いをさせているかもしれない。申し訳ないのだが、努力してそっち側に寄ることで、自分がぶれてしまうのが怖い。本当はこんな風に斜に構えるのではなく、上手に遊びたいのだ。華麗なダンスステップを踏めるようになりたいのだ。しかし、上手くはいかないので、自分のちょうどいい塩梅に調整していきたい。

 

 嫉妬して斜に構えたり、相手をそっくり否定することはしちゃいけないね。高1の頃の担任からもそう言われた。