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夢は夢のままで

中勘助「銀の匙」 読書感想文

春休み1日目は、1年間でにたまりにたまったプリントを整理していた。9割以上は捨てても全く問題の無いくだらないものであったが、残りの1割未満の書類の一つを記録しておこうと思う。

それは夏休みの宿題で書いた読書感想文だ。締切ぎりぎりになってぱぱっと書いたものなので、人様に見せるような代物ではないのであるが、せっかくの駄文を読者のみなさんと共有したいと思った次第である。

読書が好きな担任からの熱いコメントもついでに記録する。

 

読んでいる中で「うげー気持ちわりぃ」と思ったあなたは正常なのですぐさまブラウザバックすることをおすすめする。

 

 

銀の匙を読んで」

無垢な子供の視点は繊細で純粋で美しい。偏ったものごとや考え方に囚われないものの見方ができるのである。大人は子供や私たちのような若者を「真っ白なキャンバス」のようだと表現するのが好きである。しかし、私は「水」と表現するのもあながち間違いではないと思う。どこか不安定な様子で頼りない。一度赤色のインキを落とされてしまえば、ほんの一瞬で染まってしまう。それも燃え盛る炎のような赤でなければ、咲き誇る花のような赤でもない。おととい見た夢のような、おぼろげな赤色である。主人公である「私」の子供時代も淡い色水のようだった。

 この作品の前編は、しっかりとした実体のつかめない幼いころの記憶のようである。断片的な記憶が一つのストーリーとして描かれている。それは私にも小さかったころの思い出を彷彿させた。

「私」は成長するにつれ「鹿爪らしい大人の殻をとおして中にかくれている滑稽な子供を見るようになった。」彼は世界に対して斜に構えた目を見せるようになったのだ。先生が生徒たちを叱っているのにもかかわらず「私」は平気の平左で笑いながら見ていた。それを知った校長さんは彼に「先生が怖くないか」と尋ねた。「私」は「いいえ。ちっとも」と答える。なぜなら彼にとって、大人である先生もやはり人間であるからなのだ。「一般の子供がもっているような大人というものに対する特別な敬意は到底もち得なかった」のだ。彼からすれば子供も大人も同等の人間であった。果たしてその思想は正しいのだろうか。

 なぜ私たちが大人を敬うべきなのか。その理由に「人生経験の豊富さ」が挙げられるであろう。しかし、人生経験が豊富だからと言ってその人が尊敬に値するとは言えない。そうであるのなら「私」の思想は正しいのだろう。とはいえ出会った人間を自分が勝手に作ったふるいでかけるという行為には品性を感じない。敬うか否か以前に人としてあまりよろしくない行為であるのは確かだ。加えて商業高校生である私にとって上下関係は最も重視されることの一つだ。なぜなら、今後社会人として上手く世渡りする為に必要不可欠なものさしだからである。それなら「私」のその思想は正しいとは言えない。自らの品性を考えたり、保身に走ったりするような考え方である。それは否定されるべき考え方ではない。むしろ肯定されるべき考え方であると私は思う。

 ここまで彼の考え方が正しいかどうかを語ってきたが、それよりも前に私は彼の思考が好きである。自分が今生きている世界を斜めから見るのは、若者の活力みたいなものを感じる。ひょっとすると大人と子供の境目なんてのはこんなところにあるのかもしれない。私の父親は私によく「斜に構えるものじゃないよ」と言う。私を子供から大人に引き連れようとしているのか。もしかしたら彼も、斜に構えた子供の一人だったのかもしれない。今まで斜に構えていたのに、知らぬ間に斜に構えられる側に回っていたという経験をするのだろうか。私はまだ「子供」であるので、単なる憶測にすぎないのだが。

 この作品は前編と後編で分かれているのだが、両編の終わり方が似ていることに気が付いた。どちらも「私」の想い人との別れのシーンであり、「私」は彼女らに対してしっかりとした別れの言葉を伝えられずにいる。又、どちらにも「机」が登場するのである。これが単に、二編が同じ作品であることを示すための表現方法だとは考えにくい。「私」は二度も同じ過ちを繰り返してしまったのだ。それはとても自然なことのようで、人は一生その人であると感じた。「私」が幼少期のころに面倒を見てもらっていた「伯母さん」の「私」への愛情がいつになっても変わらなかったように。

この作品の題名である「銀の匙」は物語の始まりに少しだけ登場する。「私」が幼いころに「伯母さん」が薬を飲ますために使っていた匙である。この銀の匙はただの思い出の匙ではない。「私」の子供時代そのものなのである。その匙を手にとるたびに私は古き時を思い出すのであろう。私にとっての「銀の匙」はなんだろうか。もう既に見つかっているのだろうか。いずれにせよ、私は私にとっての「銀の匙」を手に取り少年時代に思いを馳せられるような大人になりたい。淡い色の思い出とともに。

 

 

担任からのコメント

私も若い頃は斜にかまえていました。それは、若さの特権だと思う。他人に気を使って、オドオドばっかりしていては、思い切ったことはできない。「は~ん、何言ってんだョ」というくらいの気迫がないとね。しかし、年をとるにしたがって、斜にかまえた自分を恥るようになった。それは、学びを重ねるにしたがって自分の考えや存在がいかに小さなものなのか知るようになるからです。若い頃は斜にかまえてもかまわない。しかし、斜にかまえた自分を常に相対的に見るもうひとりの自分を常にキープしておくことが大切です。そうしないと単に「馬鹿な自信過剰」になるからね。

 

 

銀の匙 (新潮文庫)

銀の匙 (新潮文庫)

 

 

追記】2018/7/30

これは俺の作品だからな。

写すなよ。