The Azure

夢は夢のままで

義務としての応援

今年2度目の東京へ行ってきた。というのも女子バスケット部が全国大会に出場するようで、それの応援のために無理やり行かされたのである。非常に疲れ、無駄な時間を浪費した1日であった。

f:id:AOblue:20181223212746j:plain

ボールのオブジェの前で記念撮影をするのがお決まりのようだった





そもそも「応援」というのは、主体的に行うべきだ。自分が気に入った人の背景を知って、支えたいと思って初めて応援が成り立つ。強制的にさせられる応援など応援ではない。それを本日全うしてきた。僕自身、女バスの中に特に親しい者がいないので、実につまらなかった。僕の中では、うちの女バスを応援するのは隣の高校の女バスを応援するのと等しい。思い入れのないチームを必死に応援してきたのである。

 


これほどまで今日の応援に嫌悪感を抱くのは、きっと僕が純度の高い応援しかしたくないからであろう。もちろんみんなそうなのだろうが、自分の「応援」に嘘をつきたくないというか、そんな思い。

応援をするのであれば心から全力で応援したい。それができないのなら応援をすべきではない。

 

 

 

商業高校生として社会を学ぶ一環で「したくない応援をする」ってことをしたと捉えればいいや。そうしないと耐えられない。

 

 


今日得たのは、行きのバス6時間分と帰りのバス6時間分の読書時間。それで村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス(上)」を一気に読めたので良しとしよう。再読である。

 

f:id:AOblue:20181223212759j:plain

友人にこの本を勧めたら手に取ってくれたみたいなので、再読を決意

 

 

昨年も行ったことを書いたことを思い出した。

aoblue.hatenablog.com

 

流行との付き合い

中学生の頃は、流行っているものやみんなが好きなものに対して斜に構えていた。(今もそういう節はあるが)俗なものには手を出さない自分が最高のステータスであった。たとえ自分がそれに気になっていたとしても、我慢していた。もしそのコンテンツに触れたとしたら公言しないで自分の胸中にしまいこんでいた。少数派に傾くように一種の努力をしていたのだと思う。そんな価値観で生きていた気がする。断言できないのは覚えていないから。

 


今はそんなことはない。流行のものに興味があるし、クラスメイトと話を合わせるために(それはモテる男子はあくまでも“普通”であると気がついたから)彼らが見聞きするコンテンツに触れる努力をしている。しかしそれができない。なぜか。恐らく僕は中学生の頃に流行りのものを意識的に避け続けてきたがために、それに対して無意識のうちに警戒し抵抗しているのだ。

今なにが流行っているのかがさっぱりわからない。中学生の時は俗物を避けるためにアンテナを張っていた。どうやって張っていたのか覚えていない。もし皆が好みそうなのに巡り合えても「いや、これは危険なものだ」と何の根拠もなく避けてしまう。くだらない。

でも、自分が好きなものは揺るがないで好きだと言える自信はある。絶対俺のが面白いし、かっこいい。

 

 

 

もしかしたら、以前からずっと自分の興味の対象は相対的なものであったのかもしれない。

僕は自分でも気づかないところまで空っぽなのかもしれない。

17才の指針

明日にはバスケットの大会があるし、1ヶ月も経てば日商簿記2級の試験もある。

まさか明日に試合があるなんて考えられないし、日商簿記の勉強は手をつけられていない。そんでもって忙しいだの何だの言って毎日をやり過ごしているのは仕方のないことなのだろうか。

 


大人ぶってみたくて、絵に描いたような高校生青春エンジョイ世界からは自ら離れるようにしている。大人になって後悔するのかな。でも、今の僕はそれが正しいと思ってるからいいんだ。

 


教師は一生徒の人生なんてどうでもいいだろうし、こちら側も理解している。僕らが進むべき方向は基本的に僕らが決めるしかないのだ。

時々、選んだ方角・道が正しいのか分からなくなって困る。心底困る。でも頼れる大人は近くにいないし、友人に意見を求めたって一緒になって混乱するだけだ。ゲームみたく、ヘルプボタンを押せばちょっとしたヒントを教えてくれてもいいだろ。って、そんなことは世に生きる全ての人が思ってることかな。

つまり完璧な指針など無いし、自分で手探りながら進んでいくしか無いよねって話だ。

 


とても思春期の高校生っぽい文章だろ。僕はこんな感じで思春期を堪能しているのさ(ということにしておいて)

 


(今のところ)僕は正しいように動けているし、そう思えていればきっと万々歳だ。

 

くだらねぇものを愛してる

夏休みに入ってからろくに手をつけていなかった宿題に手をつけ始めたのが、8月2日の本日。なんと自堕落な生活を送っているのでしょうか。とはいえこれもまた愛すべき僕の生活なので、とことん愛してやるぜべいべ。なんだかんだで宿題は終わるものなのであまり気負わずに消化していくよ。

 


半年くらい積ん読になっていた、村上春樹訳のキャッチャー・イン・ザ・ライにでも手をつけてみようかしら。これは高1の時の担任が授業中の雑談で紹介していたのに触発されて買った。彼女、授業中に色々な小説について話してくれるのは嬉しいんだけれど、いかんせん結末まできちんと言っちゃうんだよね。ヘッセの車輪の下もラストを知ってながらも読んだし。まぁ話の結末だけが小説の醍醐味でもないし良いんだけどね。

 

 

 

明日から3日間合宿があるから憂鬱だなー。始めれば楽しいのだろうけど、準備するのが億劫なんだよ。3日間ずっとバスケット機会なんてそうそうないから楽しんでくるさ。では。

 

f:id:AOblue:20180802172001j:image