The Azure

夢は夢のままで

楽しさの方向

 昨年の10月で部活を引退し、12月にはすでに進学先も決まっていたため、遊ぶ時間が増えた。放課後に教室で友人とトランプをしたり、恋人と下校したり、休日には恋人とデートをしたりして、時間を使っている。とても楽しい。愉快である。

 その「楽しさ」はいったい何が引き起こしているのか。自分の好きな人とともに時間を過ごすことができるという幸福感が僕を楽しくさせるのだろう。

 

 それまで熱心に取り組んできたバスケットや、資格取得のための学習、勉強、読書などでも楽しさを覚えることがある。しかし、それらは遊ぶことで感じる楽しさとは異なるニュアンスを持っている。前者は、自己実現的な、自分が没頭できることに向かうことに対して感じる前進的な楽しさで、後者は現在の自分を肯定し、脳みそをすっからかんにして覚える停滞的な楽しさである。過去を振り返った時に、前者は自分の励みになり、後者は思い出になる。そんなニュアンスだ。

 

 どちらが良くてどちらが悪いというわけではない(だろう)。

 僕は後者の楽しみ方が苦手で恋人や友人によくない思いをさせているかもしれない。申し訳ないのだが、努力してそっち側に寄ることで、自分がぶれてしまうのが怖い。本当はこんな風に斜に構えるのではなく、上手に遊びたいのだ。華麗なダンスステップを踏めるようになりたいのだ。しかし、上手くはいかないので、自分のちょうどいい塩梅に調整していきたい。

 

 嫉妬して斜に構えたり、相手をそっくり否定することはしちゃいけないね。高1の頃の担任からもそう言われた。

懺悔

 恋人が熱を出したらしい。

 友人から聞いたとか、風の噂でとかじゃなくて、彼女の口から(どちらかと言えばLINEの文面から)得た情報なので信憑性が高い。あらまーーー。

 

 以前から喉の調子が悪かったのにもかかわらず、僕が今日の放課後に寒い中連れまわしてしまったことが原因か。ごめんよーーー。非常に責任を感じる。今日はいつも以上に寒かったもんな。あーーー。過ぎてしまってから後悔する。まあ過ぎてないことに対して後悔なんてできないんだけどさ。

 

 明日は販売実習というイベントがある分、余計に休まれると寂しい。そんなことを言ったところで、彼女の様態が良くなるわけではないのは分かっているのだけれども。祈るだけ。応援するだけ。

 行けなくて一番つらいのは、恋人なんだし。

 

 君は「悪くないよ」って言ってくれるけれど、実際には僕に非があるんだよー。自分を責めずにはいられない。ごめんね。

 

 

2019.1.17 追記

 翌日(つまり今日)の朝に微熱だった彼女は、無事に販売実習に参加できました。よかったよかった。放課後に病院でインフルエンザの検査をしたらしいのだが、陰性だったらしい。ただの風邪だと。そうなるとほんとうに僕に非があるな。まあいいや。実習できたし。終わりよければすべて有吉。

洗濯機と冷蔵庫

 大学進学にあたって、4月からは京都でひとり暮らしになるので、そろそろ家具家電を準備しておきたい。家電の中でも大きなウェイトを占めるのは、そう、洗濯機と冷蔵庫である。

 

 無印良品の家電で揃えようと思っていたのだが、品質に難アリなのだとどこかのユーチューバーが言っていた。特に洗濯機は酷評されていて、ガタゴト音が鳴るらしいのだ。今日の6時限目に、恋人にも「無印の家電だけはやめておけ」と言われたので従おうと思う。

 

 生まれてからというもの、死んだことはないし、ひとり暮らしをしたこともないので、自分のために洗濯機と冷蔵庫を買ったことがない。洗濯機童貞と冷蔵庫童貞を兼ね備えている。関係ないけど、Base Ball Bears を聴くと、平均的な高校生活を思い出しそう。今日ベストアルバムを聴いてそう思った。あくまでも平均的な高校生活。僕自身のハイスクールライフではない。

 

 とにかく、洗濯機と冷蔵庫を買わなければならない。

 

 

 パナソニックは高い。アイリスオーヤマは安い。ハイアールは世界一*1

*1:僕のバイト先によると

やわらかい手首のスナップ

 僕が、手首のスナップを効かせて放ったボールがフープをくぐり、ネットを揺らして僕の元へ帰ってきたとき、僕は父親の言葉を思い出す。良いシュートは自分のところに戻ってくる、と。

 

 今日は何もない日だった。バイトがあるわけでもなければ、恋人とのデートもない、特にしなければならない課題もないし、オフだった。完全無欠のオフだったのである。最近シューティングをしていないな、と思い立ちその日初めて外に出たのは15時半くらいだった。

 

 10才のクリスマスに祖父からバスケットゴールをプレゼントしてもらった。僕がバスケットを始めて約1年がたったころだ。それからというもの僕は自宅の駐車場でせっせとシュート練習に励んだ。

 運動神経が鈍かったせいですばしっこいドリブルは僕には向かなかったし、視野も狭かったのでパスも得意ではなかった。しかし、練習すれば練習するだけ上達するシュートはとても楽しかった。僕がバスケットで「楽しい!」と感じられるのは、シュートが決まるからだ。

 

 現役でプレーをしていた時には毎日何本もも打っていたであろうシュートであるが、引退してからというものシュートを打つことはなくなってしまった。高校の教室にフープがぶら下がってはいないし、バイト先で店長からボールを渡されることもない。とはいえ、引退したのはほんの数か月前のこと。ありがたいことに、僕の身体はボールをリリースする作法を覚えていた。

 

 15時半から16時まで、たった30分ほどではあったが、シューティングをした。何度かすればすぐに感覚を思い出して、面白いくらいにシュートが入る。冒頭にあるように、綺麗にシュートが決まれば、ボールは戻ってくる。わざわざ自分がボールを取りに行かなくてもいいのだ。同じ位置から何度も何度もシュートを打つ。

 シュートを打っている間にはたくさん考え事ができる。小中学生の頃の僕も瞑想だなんだ、とか言いながらブログのネタを考えつつ、シュートをしていたことを思い出した。今と変わってないじゃん。

 

 シュートをしてもそれはバスケットボールをしたことにはならない。また誰かとバスケットしたいな。大学でそういうサークルにでも入ろうかな。優しい人が多そうだったら入ろう。

 

 小学生の時は近所の人に「シュート上手だね」と褒めてもらっていた。嬉しかったな。いつから言われなくなってしまったっけな。中学生?そのときに「大人になったな」と思ったことも込みで思い出になっている。次は「シュート上手だね」って言う番だ。

嫌いな人

 金曜日の放課後に、教室でクラスメイトとトランプをして遊んだ。この日はバイトを始めてさぼってみたり、親に嘘をついてしまったりと罪深き一日なのであるが、今回はトランプでの出来事にフィーチャーしていこうと思う。

 

 

 大富豪(地域によっては大貧民って呼ぶらしいね)やババ抜きをしていた。いちばんに上がったものが「罰ゲーム」を考えて、ビリがそれを実行する、といったシステムで遊んでいた。法には触れていない。

 

 僕が負けてしまったときに与えられた「罰ゲーム」は、「クラスメイトでにばんめに嫌いな人を暴露する」というものであった。普段は言えないようなことなので、罰ゲームらしいといえばらしくはある。しかし、残念ながら僕は、自分の嫌いな人物を思い浮かぶことができなかった。なぜだろう。

 きっと、というか確実に「他の人にあまり関心がないから」である。クラスメイトに対して熱心な興味がないから、嫌いな人が誕生する余地もないのである。他人を「好きな人」もしくは「嫌いな人」にカテゴライズする時点で、彼らに対しては特別な意識を持っている。矢印の向きが異なるだけで、人を好きになるのも嫌いになるのも似たようなものなのではないかなと考えた。

 

 クラスメイトの中で好きな人は?と尋ねられる、恋人だ、あとふたりの友人だと即答できる。嫌いな人よりも好きな人が多いほうがいい。

 

 

 ちなみに、その時の僕は答えないのも悪いなと思ったので、クラスでほとんど喋ったことのなくてなんとなく印象の悪い人から適当にピックして答えた。別に嫌いではない。